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ほとんどフィギュアスケート、きまぐれ勉強メモだよ(^_-)-☆ #表示不具合のお知らせ

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【観劇録】シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ

シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」(2012.06.12/18:30~)観てまいりました。パワフルな歌に踊り、堪能させていただきました。物語には大いに笑い大いに泣かさせていただきました。いつものことながら、心の琴線を揺さぶり、空いた隙間からパワーを注入する。音楽座の持ち味だなと思う。一日3回の公演(前人未到だとか)がどんなに大変なことなのか想像つきませんが、気迫あふれる演技に感動\(^o^)/存分に楽しまさせていただきました。展開が素晴らしく退屈することが全くなかった。音楽座ミュージカル/Rカンパニーの皆様、ありがとうございました<m(__)m>また、5列7番(控画像)という良い席で観れたことに感謝観劇\(^o^)/

物語はある少女のシャボン玉を吹くシーンで始まる。今振り返ると、シャボン玉は、人間の儚い命(注1)、ささやかな夢、束の間の幸せの象徴か。主人公の折口佳代の折口は大阪梅田駅の降り口から取って付けられたもの。佳代は生まれてまもなく梅田駅の降り口に捨てられ以後過酷な人生を送る羽目になる。普通なら夢とは呼ばない平凡な幸せが佳代の夢。いや、それどころか、その夢の実現に(それを失うことへの)恐れを抱いてしまうほど心に深い傷を負っている。その佳代の心の揺れ動きの表現(←宮崎祥子さん最高\(^o^)/)が、佳代が辿ってきた過酷な人生がどれほどのものであったかを想像させ、かなり泣けた。いまも、思い出しただけでまた涙が出てきた゚(゚´Д`゚)゚

実際、物語は佳代の心を象徴するかのように、幸せを掴みかけようとすると、不幸な出来事が訪れる。小さな幸せ(例えばキッスをしようとすると新聞勧誘のお兄さんがドアをノックするとかw)大きな幸せ(ネタバレするので割愛wあらすじは冒頭のリンク先を参照)に容赦くなく何度もやってくる。幸せな場面は少ない、ほとんど不幸な場面ばかり。闇が深ければ深いほど光は輝くという描き方なのか・・・。

笑いがそれを緩和増幅させている。ラス星人の登場。それも地球人になりきれない、かなり、笑えるキャラ設定。ラス星人が大真面目だけに、そのギャップが可笑しい。例えば、舞台の中心となっている喫茶店「ケンタウルス」での出来事。ラス星人のトイレの解釈が見事で目から鱗(とりあえず、解釈内容は割愛w)。コーヒーのブレンド(注2)をフレンド(友達)と聞きまつがいするなどの空耳っぷりが好感触。さらに物語の見せ場の一つでもある深刻な場面に及んでもフレンドと言わずにブレンドと言ってしまう律儀さ、泣きながら笑ったよ\(^o^)/→こうした、泣き笑い、笑うしかない悲しさ、随所に見受けられた、この劇の特徴か

この笑えるラス星人ですが、何も人を笑わすためだけに登場したのではない。ゼス(ラス星の科学者)の「森羅万象、宇宙のありとあらゆるものは、すべて、つながっている」の台詞の通り、その象徴なのだと。ピア(ラス星の宇宙調査隊員)の台詞「テレパシーを送っているのですが、届かないのです。佳代は心を固く閉ざしてしまっている」は、強いメッセージとして私の心に突き刺さった(-_-;)

ああ、そうそう、群舞が素晴らしかった。密かに○○○さんのファンなこともあって(公演終了後、扉1を出たところで遭遇。至近距離で挨拶できて幸せ\(^o^)/小顔でビックリ、写真よりはるかに美人、状況的にあたしの名前は名乗らなかったが(-_-;)、ファンとのふれあいタイムがあるのも音楽座の良さの一つであります)、群舞の時は、みなさんの動きに注目しました。みなさん芸が細かくて楽しかった。あと、群舞ではないのですが、喫茶店「ケンタウルス」で展開される劇に関係なくテーブルに独り黙々と本を読む少女。訪れた地上げ屋(注3)によって退かされるのであるが、ウケた(ほんの一瞬だけ絡むシーンがあったのですが、何に!?って顔をしていた。神は細部に宿る。芸が細かいw)\(^o^)/

それから、第一幕、第二幕の遊園地の場面で使われた迷路のトーテンポールのようなオブジェ(エッシャーの階段図のようなデザインもあったりする)の佳代と悠介の行く手を阻むかのような動きが、人生の隘路の象徴に見えた。

追記2013.02.19
アルファ・ケンタウリからの客 (新潮文庫)
読了。未解決の最後のシーンが解決した。本質において原作に忠実であったと思う。また、ラス星人のユーモアセンスなどミュージカルにあった「笑い」は小説にはなく、逆に小説にあった世相批判文明批判はミュージカルにはなかった(私の印象)。あと、個人的な関心。生命素という永遠の存在が肉体に宿る生命現象という考えは、生気論を思わせる。燃焼現象を燃素によるものと考えたフロギストン説と同じ思考形式(現象の背後に永遠の存在を見るプラトニズム)だと思った。そう考えないと、この小説は成り立たない。
追記終了。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~

注1)光速に近いスピードで移動するラス星人の宇宙船の中で流れる時間と地球上で流れる時間の違いがちゃんと相対性理論に基づいて計算されていて、おお、と思った。また、地球人とラス星人の寿命の違いがラス星人の賢者振りに関係してるのかも。欲望に任せた争いが無益だと悟るには、地球人の人生は短すぎるのかもしれないね。

注2)ブレンド:異質の混合→宇宙人と地球人、演技者と観客の交流、一体化を想起させる。

注3)物語は、バブル真っ只中の1988年。地上げ屋、軍隊が使う無線機のような携帯電話、ワンレン・ボディコンなど、当時の風景が思い出されて懐かしかった。


■関連リンク
追記2012.06.14/03:52
近況|ネクタイでチャリティー『Tie for Change』さん、ありがとう!
夢の喩え、について。
だから、シャボン玉と同じように、
ずっとずっと、何度でも何度でも、吹き続けることが大事なんです。

なるほど~、きがつきませんでした(-_-;)

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